【心敬】造句:
  • これは連歌師である心敬の言葉から引いたものである。
  • 門下には心敬らがいる。
  • 宗砌、専順、心敬に連歌を学び、東常縁に古今伝授を授けられた。
  • 「新撰菟玖波集」の中で、心敬についで第2位の入集句数を持つ。
  • 19歳のとき「河越千句」に参加し心敬の教えを受け、飯尾宗祇とも交流した。
  • 句集に「園塵」、連歌論書に「心敬僧都庭訓」「梅薫抄」「兼載雑談」などがある。
  • 「新撰莬玖波集」の中で、心敬、宗砌についで連歌師では第3位の入宗句数である。
  • 心敬?宗砌?後土御門天皇?専順?大内政弘など約250人の句を集めた有心連歌の集大成である。
  • 宗祇や二条良基、宗長や心敬らの連歌師が出現し、大名や公家僧侶が寺社に集まり連歌会が催された。
  • 室町時代には二条良基、宗祇、心敬などの連歌師が出現し、貴族の邸宅や有力寺社などで連歌会が催された。
  • 心敬造句挺难的,這是一个万能造句的方法
  • また、文明6年(1474年)には心敬を判者に江戸城で歌合せを行い、「武州江戸二十四番歌合」が残っている。
  • 連歌集?歌集として『心玉集』、『心敬僧都十体和歌』などがあるほか、宗祇編『竹林抄』に入集する連歌七賢の一人である。
  • 文明元年(1469年)に、道真はこの河越城で著名な歌人宗祇と心敬を招いて連歌会を催し、これは「河越千句」として有名である。
  • 心敬(しんけい、1406年(応永3年) - 1475年5月20日(文明7年4月16日))は、室町時代中期の天台宗の僧、連歌師である。
  • 一方で連歌師猪苗代兼載から『心敬僧都庭訓』を、茶人村田珠光から『心の文』をうけ、また謡(うたい)?尺八にも優れ、文人としても有名であった。
  • 文明2年(1470年)太田道真が河越城で、「河越千句」と呼ばれた連歌の会を主催したが、連歌師心敬、宗祇を招き、会を実質運営したのは道胤であった。
  • 文明元年(1469年)から文明6年(1474年)頃に著名な歌人の心敬を品川の館に招いて連歌会を催し、これは「品川千句」と呼ばれる(優れた歌人の父道真も「河越千句」を行っている)。
  • その芸は連歌師心敬に「今の世の最一の上手といへる音阿弥」と評されたのを初め、同時代の諸書に「当道の名人」「希代の上手、当道に無双」などと絶賛され、役者としては世阿弥以上の達人であったと推測されている。